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どうしてそんなにRPGなのか


これまでの私のRPG

私はかなり昔からRPGを作りたがっています。最初に作ったのは小学5年生くらいのときで、こういう画面で作っていました。


Ωがプレイヤーキャラ、スペードマークが木、△が山。
マップは上下左右に広がっていますが、画面が1行なので左右方向しか表示されません。
アイテムとしてマップを手に入れると、PB-300に搭載されている
小型の感熱式プリンタでマップ全体が印刷できました。

(ところで、なぜかこういう画面のほうがPlayStation4のファイナルファンタジー15みたいな綺麗な画面よりもワクワクとするのはなぜでしょうか…)

25歳くらいとのきに最初に作ったホームページもRPGに関するものでした。


マップチップの魅力

小学生の頃にドラゴンクエストの衝撃を受けて以来、あの緑の草原と青い海、灰色の壁、赤茶色の石畳に魅せられています。その色合いだけで心が動く人は多いと思います。(でもそうかといってその色合いを再現すれば「なんだドラクエじゃん」と言われかねないところが、難しい)

RPGを作ろうというとき、ドラクエのマップチップに近いものを自然と選びますが、他のRPGのマップチップは選ぼうとしません。やはりあのデザインにひかれているんでしょうね。

fig.
▲ドラクエの開発者が当時プレイしていたと思われる「ウルティマ2」の町

ただ、ドラクエのマップチップはウルティマのマップチップを模倣しているようなので、正確にはウルティマのマップチップのほうの色合いに感じる素朴な魅力がおおもとと言えます(左図)。これは当時としては見栄えのする魅力的な画面だったと言えると思います。

左の画像リンクをクリックすると画像を拡大します



ドラクエの開発理念が魅力を生んでいる

fig.
▲ファミコン最後のドラクエ(IV)
(メーカーはプレイ動画などをある程度黙認していますが、著作権を考慮して画像処理(黒帯)しておきます)

最初のドラクエが開発された際は特別な "開発理念" があったようです。

「海外のウルティマやウィザードリィなどのRPGが面白いので、ファミコンでもやってみよう」

「子供たちには難しいから、あれこれ親切に作ろう」

「アマチュアムード漂うメンバーだけで作るよりは、プロも混ぜよう」

寝る間も惜しんで漫画を描く鳥山明氏(絵のプロ)のモンスターイラストはシンプルなのに魅力にあふれていたし、音楽のすぎやまこういち氏(音楽のプロ)は "飽きないBGM" を心がけて作曲されたそうです。

これらの理念はどれも人の心をつかむ内容だと思います。



魅力的な作品の下地

ウルティマのリチャード・ギャリオット氏やドラクエを作った ほりいゆうじ氏も、どこか人柄に奥行きがあるというか面白いことをやっているというか、そういうところもRPGの魅力の下地になっているのではと思います。

リチャードギャリオット氏は、父親が宇宙飛行士でその影響を受けていて、また彼の自宅はお化け屋敷なんだそうだ。高校では学校に申し出て自らコン ピューターのクラスを作り、28本ものダンジョン探検プログラムを作り、それらを友人に見せて感想を聞いていたそうだ。たくさん作って感想も聞けるという のはRPG開発にとっては大きなメリットだ。

ほりいゆうじ氏は、高校の時に漫研のほか運動、演奏、生物に茶道と複数の部活に同時所属していたそうだ。早稲田大学に通い、フリーライターとして活動し、作家を養成する「劇画村塾(げきがそんじゅく)」で学び、ことばの技術を学んだそうだ。

ファンタジーのJ.R.R.トールキンについても、Wikipediaを読むと、その人生がさまざまな出来事に彩られていて作品に生かされているこ とが分かる。両親を亡くすこと、恋愛と結婚、軍隊に入ること、言語学などなど物語を作るのに必要な要素を豊富に経験したようだ。

さまざまな経験が、作品作りに大いに役立っているように見える。そしてどの人も人とのかかわりや、社会とのかかわりが厚いようにも見える。


RPGの歴史から見るその魅力

RPGの歴史を探ってみると、どうも私やほかの方々がRPGに魅せられこだわる理由というのは、必ずしもドラクエが気に入ったからではないようで す。ドラクエ以前にウルティマやウィザードリィがあり、それらの前にはTRPGのダンジョンズ&ドラゴンズがあります。そこで行われているのは、剣と魔法 のファンタジーの世界を舞台とした、冒険の疑似体験です。

そしてファンタジーの世界はJ.R.R.トールキンによるもので、トールキンは子供たちに自分のファンタジーの話を話して聞かせることがとても楽しいことだったんだそうです。(2017年現在の今から80年前、1937年ごろの話です)

その冒険の疑似体験と剣と魔法のファンタジーが、ドラクエに行き届いていて、小学生だった私たちは放課後に友達と夕方遅くまで楽しい冒険の旅に出ることになったんです。

その放課後の出来事は、J.R.R.トールキンが自身のファンタジーの物語を子供たちに聴かせ、子供たちは喜んで聴いていたその様子と、同じことではないでしょうか。

余談ですが、現在ゲームメーカーがゲームプレイヤーの厳しいレビューにびくびくしながらRPGを作っている様子は、実に…残念なことです。 J.R.Rトールキンが子供たちの厳しい不満を聞いている様子なんて想像できない!現在、作品の質が著しく落ちているのもそうなんだけど…。ゲームメー カーには面白い物語を作る下地(彩(いろどり)に満ちた人生)がなく、過去の作品に対するあこがれや他社との競争だけで作っているのかな…。

そして なぜRPG?

以上のようにいろいろなものがからんで、RPGというのは作りたいゲームとして注目されているんだと思います。

おそらく、私たちがドラクエでRPGに魅せられたことと、ほりいゆうじ氏がウルティマに魅せられたこと、ウルティマのリチャードギャリオット氏や ウィザードリィの作者の方がダンジョンズ&ドラゴンズに魅せられたことは、時代は違うものの、どれも同じことなんじゃないかと思います。バケツリレーみた いにそれぞれが何かに魅力を感じ、それを受けて何かを作っている。その繰り返しになっている。

そしてトールキンの話を聞いていた子供たちはトールキンの話に魅せられていただろうし、トールキンはきっと伝承された神話に魅せられていたのでしょう。(では神話を作った大昔の人は何に魅せられたのか?)

みんな同じだとすれば、私も他のRPGを作りたがっている人たちも、歴代の方々と同じように作ることができると考えられます。

みんな魅せられたからRPGなんです。「未知の世界の冒険」に胸を躍らせることを皆望んでいるんです。(恋ができなくなったと言って 残念がっている大人の女性がいて、それも未知が既知になってしまっているのが原因ではないかと思います。クリスマス会をしてもどこか冷めてしまいつまらな いというのも未知が既知になってしまったからかもしれません。ファンタジーRPGも初めて知ったときは胸を躍らせましたが、最近は既知になってしまい新し いものを求めています。でも既知だと思っているものは本当に既知でしょうか。何度も戦ったドラゴンやがいこつ、何度も使った基本の魔法。それらは本当に既 知であって、飽きてしまったのでしょうか?既知の物はまだどこか終わっていないように思える)

木星の内部はどうなっている?宇宙の果てはどうなっている?地球の海の底はどうなっている?

現実の世界で体験できない魔法。RPGの中で初めて魔法を使ったとき、それは初体験(未知)の冒険だった。

幻想世界の魔物たち。現実の世界で戦ったことはもちろんなくて、RPGで初めて戦った。

鳥山明氏の生き生きとしたモンスターイラストが相乗効果になった。

ドラクエのようにモンスターがこちらを向いている(プレイヤーと対峙している)ことは、そういう観点から言って意味が大きいのではないでしょうか。モンスターはこちらを不敵に見つめていて、疑似体験に叶って(かなって)いる。

(だからと言ってサイドビューの戦闘画面のRPGが劣っているかといったら、そうではなく、サイドビューであるためにプレイヤーと敵が正面の視点で 対峙できないなら、画面の中のプレイヤーの分身にどれだけプレイヤーを感情移入させてプレイヤーとの一体感を持たせるか、など課題を設定して取り組むなど 道はあると思います)

RPGは「未知」と、「冒険」という2つの魅力で私たちを引き付けている。

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